中学受験・高校受験のための国語読解力 ~小説編②~

 では、国語の読解力を身につけるための演習解説を実践してみましょう。
使用する文章は、前回宿題に出しておいた夏目漱石の「文鳥」の冒頭部分です。「読んでおくように」という宿題はいかがですか?
もういちど、掲載するので、読んでない人はまず一通り読んで下さい。
さて、読んできた人は、もういちどこの文章を読みながら、わからない語句(1度目に読んだ時に線を引いてあると思いますが)を辞書で引きながら、しっかりと読み進めて下さい。
そして、もう一つ大事な作業があります。読みながら、「対比」「例示・比喩」「問題提起・答」「構成・変化」を意識してみてください。そして、「対比」「例示・比喩」「問題提起・答」「構成・変化」だと思われる部分があったら、青線(青マーカー)を引いてみましょう。
また、読んでいて「おや、いつもと違うぞ」「あれ、なぜ作者はわざわざそれを書くのだろう」という部分には赤線(赤マーカー)を引いてみましょう。
さらに、「この場面いいなぁ」「ここはひどいなぁ」と心が強く動かされた部分には一言でいいので感想を書いてみましょう。
このように、本に線を引きながら、自分と対話しながら、さらに作者と対話しながら、ゆっくりと読み進めてほしいと思います。
もし手元に本がない場合は、手元の紙に該当箇所を書き抜くといいと思います。ただ画面を眼で追うよりも、手を動かすことによって、対話が深まり理解力は増します。
では、夏目漱石の「文鳥」の冒頭部分です。
 十月早稲田わせだに移る。伽藍がらんのような書斎にただ一人、片づけた顔を頬杖ほおづえで支えていると、三重吉みえきちが来て、鳥を御いなさいと云う。飼ってもいいと答えた。しかし念のためだから、何を飼うのかねと聞いたら、文鳥ぶんちょうですと云う返事であった。
文鳥は三重吉の小説に出て来るくらいだから奇麗きれいな鳥に違なかろうと思って、じゃ買ってくれたまえと頼んだ。ところが三重吉は是非御飼いなさいと、同じような事を繰り返している。うむ買うよ買うよとやはり頬杖を突いたままで、むにゃむにゃ云ってるうちに三重吉は黙ってしまった。おおかた頬杖に愛想を尽かしたんだろうと、この時始めて気がついた。
すると三分ばかりして、今度はかごを御買いなさいと云いだした。これもよろしいと答えると、是非御買いなさいと念を押す代りに、鳥籠の講釈を始めた。その講釈はだいぶったものであったが、気の毒な事に、みんな忘れてしまった。ただ好いのは二十円ぐらいすると云う段になって、急にそんな高価たかいのでなくってもかろうと云っておいた。三重吉はにやにやしている。
それから全体どこで買うのかと聞いて見ると、なにどこの鳥屋にでもありますと、実に平凡な答をした。籠はと聞き返すと、籠ですか、籠はその何ですよ、なにどこにかあるでしょう、とまるで雲をつかむような寛大な事を云う。でも君あてがなくっちゃいけなかろうと、あたかもいけないような顔をして見せたら、三重吉はほっぺたへ手をあてて、何でも駒込に籠の名人があるそうですが、年寄だそうですから、もう死んだかも知れませんと、非常に心細くなってしまった。
何しろ言いだしたものに責任を負わせるのは当然の事だから、さっそく万事を三重吉に依頼する事にした。すると、すぐ金を出せと云う。金はたしかに出した。三重吉はどこで買ったか、七子ななこおれの紙入を懐中していて、人の金でも自分の金でも悉皆しっかいこの紙入の中に入れる癖がある。自分は三重吉が五円札をたしかにこの紙入の底へ押し込んだのを目撃した。
かようにして金はたしかに三重吉の手に落ちた。しかし鳥とかごとは容易にやって来ない。
そのうち秋が小春こはるになった。三重吉はたびたび来る。よく女の話などをして帰って行く。文鳥と籠の講釈は全く出ない。硝子戸ガラスどすかして五尺の縁側えんがわには日が好く当る。どうせ文鳥を飼うなら、こんな暖かい季節に、この縁側へ鳥籠をえてやったら、文鳥も定めし鳴きかろうと思うくらいであった。
三重吉の小説によると、文鳥は千代ちよ千代と鳴くそうである。その鳴き声がだいぶん気に入ったと見えて、三重吉は千代千代を何度となく使っている。あるいは千代と云う女にれていた事があるのかも知れない。しかし当人はいっこうそんな事を云わない。自分も聞いてみない。ただ縁側に日が善く当る。そうして文鳥が鳴かない。
そのうちしもが降り出した。自分は毎日伽藍がらんのような書斎に、寒い顔を片づけてみたり、取乱してみたり、頬杖を突いたりやめたりして暮していた。戸は二重にじゅうに締め切った。火鉢ひばちに炭ばかりいでいる。文鳥はついに忘れた。
ところへ三重吉が門口かどぐちから威勢よく這入はいって来た。時はよいくちであった。寒いから火鉢の上へ胸から上をかざして、浮かぬ顔をわざとほてらしていたのが、急に陽気になった。三重吉は豊隆ほうりゅうを従えている。豊隆はいい迷惑である。二人が籠を一つずつ持っている。その上に三重吉が大きな箱をあにぶんかかえている。五円札が文鳥と籠と箱になったのはこの初冬はつふゆの晩であった。
 いかでしたか? どのような赤線、どのような青線、そしてどのような感想が書かれたでしょうか。これに関しては正解というものはありません。どこに線を引き、どのような感想を書こうとも、それでいいのです。そのように考え、ゆっくりと読み、自分や作者と対話することが、「読解力」の育成でも最も大事なことなのです。
とは言え、やはり深く読み進めるための目安は必要ですから、ここで、私の読み方を書き記します。ただし、この読み方が「模範」というわけではありません。テストや試験ではないので、「模範解答」といいうものはなく、一人ひとりの読み方が尊重されるべきです。ただ、なるほどそういう読み方もあるのか、自分はそういう部分には気付かなかった、そういう部分で参考にしてもらえればいいのです。
では読んでみましょう。
十月早稲田わせだに移る。
 まずこの部分で、なぜ作者は「十月」と書いたのでしょうか?(ちなみに「早稲田」というのは、この作品の舞台が早稲田にあった漱石の自宅であったための記述です) それは、もう少し先の、この文に重ね合わせられているのです。
そのうち秋が小春こはるになった。(中略)硝子戸ガラスどすかして五尺の縁側えんがわには日が好く当る。どうせ文鳥を飼うなら、こんな暖かい季節に、この縁側へ鳥籠をえてやったら、文鳥も定めし鳴きかろうと思うくらいであった。
 つまり、十月から秋が深まり、小春日和の暖かい秋の穏やかな日、縁側で文鳥を眺めるという場面を期待しての設定なのです。秋の室内の暗さと縁側の日なた、暖かい日差しと深まる秋の空気の冷たさと文鳥のぬくもり、そういったコントラストを設定していたのです。
伽藍がらんのような書斎にただ一人、
 ここも読み飛ばしそうな表現ですが、作者の意図が読み取れる部分です。まず「伽藍」を辞書で調べると「僧侶が集まり修行する清浄な場所、寺院または寺院の主要建物群」と記されていますが、これが現代語でもよく用いられる「がらんとした」=「空間などの、広々として何もない様子」の語源となります。この文章では「がらんのような」とは書かれていますが、それは「寺院のような」という意味ではなく、「広々として何もない」という意味を述べたものであり、実はその後「文鳥」がこの部屋にやってきて、「生気もない寒々とした静かな部屋」が「生き物のあたたかみを持つ明るい部屋」に変わっていく様子の対比となるのです。
片づけた顔を頬杖ほおづえで支えていると、(中略)うむ買うよ買うよとやはり頬杖を突いたままで、むにゃむにゃ云ってるうちに三重吉は黙ってしまった。
 ここは、当時の社会的風潮が示されていると思われます。明治から大正にかけては、家の中での主人(戸主・家主)の権限は大変強く、家の中でもまた社会でも威厳のある存在でした。「喜怒哀楽」でいうなら、「努」を示すことはあっても、気軽に「喜」「哀」「楽」を示すことには強い抵抗感があったのです。漱石の場合、彼の性格を考えると、真に動物が好きであったかというと疑問は残りますが、でも「吾輩は猫である」の猫に対する描写やこの「文鳥」の描写を見る限り、その観察する眼には愛情があふれ、小動物への愛情を持っていたように思われます。ですから、三重吉が(彼が「喜怒哀楽」を大いに示す人物であるのは、彼の年齢が若く、社会的地位がそれほど高くないというところにもよりますが、その多くは彼自信の性格に依るところが多かったと思われます)、「文鳥を飼いなさい」といった時に、漱石は大いに興味をそそられたはずなのですが、それを素直に表現できなかったのです。それは、この後の、「文鳥」がなかなか手元に来ないことに対し「まだか」という思いを綴っていることからも十分に読み取れるはずです。登場人物に会話や行動が必ずしも、言った通り行動した通りの心情ではないかもしれないという点に注意しておきましょう。
おおかた頬杖に愛想を尽かしたんだろうと、この時始めて気がついた。
 ここは先ほどの、文鳥への興味を素直に表現できず、頬杖を付いていた自分に対する照れ隠しの表現であろう。
それから全体どこで買うのかと聞いて見ると、なにどこの鳥屋にでもありますと、実に平凡な答をした。籠はと聞き返すと、籠ですか、籠はその何ですよ、なにどこにかあるでしょう、とまるで雲をつかむような寛大な事を云う。でも君あてがなくっちゃいけなかろうと、あたかもいけないような顔をして見せたら、三重吉はほっぺたへ手をあてて、何でも駒込に籠の名人があるそうですが、年寄だそうですから、もう死んだかも知れませんと、非常に心細くなってしまった。
 ここは漱石の諧謔味の利いた面白い部分である。漱石はもともと俳句・俳諧から文章を書き初めて、その縁で俳句の師匠正岡子規に勧められ、「吾輩は猫である」という小説を書き、小説家への道を進むことになる。ところで、俳句・俳諧というのは和歌とは異なり、ただ趣深い描写を目指すだけではなく、そこに面白さ、くすっとした面白さであり、なるほどと思わせる「諧謔」というものをを持ち合わせている。漱石の文章が、実にリズム感がよく、簡潔にしてなお、その面白味諧謔味を持っているのは、その俳句を学んだことによる。さてこの部分においては、「喜怒哀楽」を大いに示す(鈴木)三重吉の「天真爛漫」さが、おもしろ味のある対比表現を持って存分に表現されている。まずは「なにどこの鳥屋にでもあります」という平凡な答え。次に「なにどこにかあるでしょう」という訳のわからない超然とした答え。さらに「年寄だそうですから、もう死んだかも知れません」という困り切った様子での神妙な答えと、次々に応答が変化していく面白さが感じられる。またこの三重吉の様子から、しばらく文鳥が来ない時の漱石の「まだか」という思いがより一層鮮明になると言える。
かようにして金はたしかに三重吉の手に落ちた。しかし鳥とかごとは容易にやって来ない。
そのうち秋が小春こはるになった。三重吉はたびたび来る。よく女の話などをして帰って行く。文鳥と籠の講釈は全く出ない。硝子戸ガラスどすかして五尺の縁側えんがわには日が好く当る。どうせ文鳥を飼うなら、こんな暖かい季節に、この縁側へ鳥籠をえてやったら、文鳥も定めし鳴きかろうと思うくらいであった。
 今までの流れがあるからこそ、この部分が映えるのである。それまで、何もない寒々とした部屋の中で、感情を素直に出すこともなく威厳をもち暮らしていた漱石が、いつの間にやら子どものように文鳥が来ることを待ちわび、明るい廊下であたたかい息をしながら文鳥が美しい声で鳴くの想像している・・・ この対比がしんみりとさせるのであろう。実に心に残る部分である。
ただ縁側に日が善く当る。そうして文鳥が鳴かない。
 ここも、漱石の文鳥を待ちわびる心情がよく出ている。
寒いから火鉢の上へ胸から上をかざして、浮かぬ顔をわざとほてらしていたのが、急に陽気になった。
 そしてついに文鳥がやってくる。もちろん漱石は「喜」「哀」「楽」を容易に示さない人である。もちろん浮かれて喜んだりはしない。でもその漱石が、いつになく「陽気になった」と記している。これは三重吉と豊隆という来客が部屋に来ることによって雰囲気が明るくなったという意味もあろうが、それ以上に、漱石の心情と読む方が面白い。
 どうでしたか? もちろん、一つの読み方であり、別の読み方もあるでしょうし、何より一人ひとりそれぞれの読み方が尊重されるべきだと思います。しかし、こういう読み方もある、と知るのは、悪いことではないでしょう。多くの人がそれぞれに、「僕はこう読んだよ」「私はこう思ったわ」と話し合いができると楽しいでしょうね。そして、そういうことが何よりも、真の読解力になるのですから。
さて、これで、まず、感想を書いてみてください。なんでもいいのです。感想でも意見でも、どこがどうおもしろかったのか、自分ならどうするのか、書いてみましょう。ただ、あらすじや抜き出しは要りません。本文を書き写しても意味ないですからね。自分がどこを、どう、なぜ、感じたのか。自分と心の奥深くで対話しながら、その感想を深めて、書いてみましょう。そして、それを誰かに見せましょう。見せる人を思いうかべて、その人にわかってもらうように考えながら書くのもいいかもしれませんね。頑張って下さい。
  実際の作品を読むときには、線を引いたり感想を書きこみながら読み進める方が良いので、そういう意味では、やはりPC画面ではなく、ぜひ「本」が手元にあったほうがいいと思います。 この夏目漱石の本はすべて短編ですから読みやすくおすすめです。