「本歌取」とゆずの「夏色」

 例えば、僕がゴールデンボンバーの「女々しくて」に曲も歌詞もそっくりな「女々しくても」とかいう曲を作ったら、これは「著作権の侵害」ということで、罪となります。(まぁ、僕が曲を作っても誰も見向きもしないだろうから、問題にはならないでしょうが。)
 このように現代社会では、あるひとが創ったオリジナルなものは「著作権」という法律によって保護されていて、他人が勝手に真似したりしてはダメなのです。
 もっとも、このような「著作権」という概念は、近代以降に作られた概念であり、近代よりも前においては、他人の作品の真似をするというのは、至極当然のことであり、場合によっては推奨されるべき行為だったりしたのです。
 平安~鎌倉期に見られた「本歌取(ほんかどり)」という修辞法がまさにそうなのです。
 「本歌取」とは、有名な古歌(本歌)の一句もしくは二句を、自分の作品に取り入れて、歌を作る方法で、主に本歌を背景として用いることで奥行きを与えて表現効果の重層化を図る際に用いられました。
 たとえば、次の二作品を比べてみて下さい。
 「三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも かくさふべしや」『万葉集』巻一 額田王
 「三輪山を しかも隠すか 春霞 人に知られぬ 花や咲くらむ」『古今和歌集』 巻二 紀貫之
 後の紀貫之の和歌が「本歌取」になるのですが、本歌である初めの額田王の和歌の第一句と第二句をそのまま採用して、第三句以後を自作としています。
 「ん? パクリじゃねぇ?」
 現代から見れば、こういった意見もあるかもしれませんが、当時としては、きちんとした修辞法として、むしろ評価されていたりしたわけです。
 「良いものは良い。その良い物をベースにしてさらに新しい趣をプラスしているのでああれば、それはもっと良い。もっともっと以前の良い和歌をベースにして、自分の良い和歌を作ろう!」ということですね。
 ところで、最近、巷で評判のこの動画、これは「本歌取」なんでしょうか?(笑)
 映像はともかく、歌のクオリティーがここまで低いと、著作権どころではないですね。 本物のゆずの「夏色」
 というか、ここまでアレだと、なかなか癒されます(´∀`) 人間、人の目なんて気にせず、楽しく生きよう!