(入試)読解力はどのように身につけるべきか?

 前回の記事で書きましたが、いわゆる私たちが一般にする「読書」においては、「判断・推理」などを用いて「思考」する必要性が非常に少ないので、「読解力」を身に付ける効果はあまりありません。これは新聞に関してもほぼ同様です。
 では、効果的に「読解力」を身につけ、「国語の成績をあげる」ためにはどうしたらよいかと言うと、「書いてある内容がすぐには飲み込めないレベルの文章を選び、その内容を隅から隅まで把握できるまで徹底的に読み込まなければなりません。そのような方法・態度での読書をすれば読解力がつきます。
 
 難しい文章についてつじつまの合う理解や説明に到達するためには、あれこれと考え、行ったりきたりしながら、何度も繰り返し読むという作業が必要になります。これをしているうちに、あるときその文章の言いたいことが、つじつまの合う形で自分の頭の中にイメージできるようになります。まさしく「読書百遍、意自ら通ず」であり、難しい文章を、何度も何度も読み、考え、類推し、補い、想像し、結び付け、徐々に理解に至るのです。この過程を何度も繰り返し実践しているうちに、「読解力」は身に付くのです。というわけです
 ですから、「読解力」をつけようと思ったら、自分にとってむずかしいと感じられるレベルの文章を選ぶことが必要です。それに最も適しているの何かと言うならば、それは「国語の問題集」です。しかも、本屋さんで少し立ち読みをして、半分も理解できないような問題集がいいのです。その問題集を一題ずつ、じっくりと時間をかけ、何度も何度も読み、考えるのです。特に「入試問題」ともなれば、大学の名を負うて出題者が選んだ文章ですから、質の良い文章が読めるはずです。
 たとえば「ハリー・ポッター」を何冊読んでも、ほとんど効果はありません。具体的な事実が連続的に記述されているだけですから、その内容は漫画や映画のように容易にイメージできます。これは読解力、したがって、思考力の本質である論理のトレーニングにはならないからです。
 また、「天声人語」を読めば読解力がつく、というのも間違いです。読解の基礎力をつけるにはもっと構成の明確な、内容のはっきりした論説文を選んで、練習台にすべきです。「天声人語」は随筆的な性質を多分に持つ点と含蓄や示唆に富む点で、論理力の練習台としては不向きです。
 もちろん、これらの作品を否定しているわけではないですし、「読書」によるさまざまな効能は十分にあります。なんといっても心を豊かにしてくれますし、読書によって有意義な時間を過ごせます。また、漢字や、評論文などでは用いられない語句や慣用句を身につけるという点では、国語の学力を上げることにつながる部分もないわけではありません。
 ただし、国語の学力を上げるために「読解力」を効果的に身につけるための練習台としては適切ではないと言えます。